「同人誌版えみりちゃんのいぬ」書き下ろし番外編部分サンプル

――終わりを告げる、身勝手なおとぎ話

同人誌版「えみりちゃんのいぬ」、巻末書き下ろし部分(番外編)の冒頭サンプルです。

残念ながら、関西コミティア58は某ウイルスの影響で中止になってしまいました。
とても悲しい。

ですが、本は出します。
通販オンリーとなりますが、お手にとっていただけますと嬉しいです。
本来のイベント日程合わせで出す予定ですので、発行は5月末頃となりますが、一足お先に新規書き下ろし部分の冒頭を公開させていただきます。

色々と大変な時世ではありますが、だからこそ創作という形で皆様のお心に寄り添うことが出来ればと切に願います。
辛いことも多いですが、気張って参りましょう。

負けてたまるか、こんちくしょう。

えみりちゃんのいぬ【番外編】
「後悔噬臍(こうかいぜいせい)」

――――――――――――――――――――――――――

 ――きっと、運が良かったのだと思う。

 艶を帯びた黒い髪。シンプルな臙脂(えんじ)色のシャツ。微笑む口元からのぞく、きらりと輝く真っ白な歯。

「隣、座ってもいい?」

 そう言いながら、講義室の椅子の背に手を掛ける男から咄嗟に目を逸らし、女――東場(とうば)絵里子(えりこ)は控えめに頷いた。

「ありがとう」

 微笑みながら腰掛けられれば、男の重みで椅子が軋む音がする。
 頬にかかった長い黒髪をかき上げ、机の上に置かれた教科書を大真面目に見つめてみるも、隣にいる男の存在が気になってしまい、まったくもって落ち着かない。
 知らないふりを続けたくて。けれども、なんだか観察するように一心に視線を向けられている気がして、絵里子は恐る恐る顔を上げることにした。
 案の定というべきか、目が合った男は特に悪びれた様子もなく、絵里子に話しかけたときと同じ顔のまま、相も変わらずヘラヘラと微笑んでいる。

「あの……」

「なに?」

「そんなに、じっと見ないでもらえますか。……迷惑です」

「あー、ごめんごめん。きみがあまりに美人だから、つい。悪いね」

 机に頬杖を突きながら、いたずらに。
 口角を釣り上げ、歯の浮くような台詞を口走ってもそれほど違和感がないのは、流石というべきか、なんというべきかと、絵里子は小さく溜め息を付くと、ふいと男から再度視線を逸らした。
 絵里子が注意しても、男は観察をやめる気配を見せない。

「――篠塚幸司(しのづか こうじ)さん」

 棘を含んだ声で苛立ち交じりに注意すれば、ぎょっと小さく目が見開かれる。視界の隅、ぽかんと間抜けに口を開ける男はほんの少しだけかわいらしいと表現出来なくもなかったが、すぐに元の貼り付けたような笑顔へと戻ってしまった。

「光栄だな。俺の名前を知っていてくれるだなんて」

「……あなた、有名人だから」

「え? そうなの?」

 今知りましたとばかりに、何食わぬ顔で口走る男に、再度小さく溜め息を付く。呆れ顔で持っていたペンを置き、絵里子は音もなく立ち上がった。見下ろした先の間抜け面が、心底鬱陶しい。

「ええ。有名な話ですよ。女の子をとっかえひっかえしているって。うちの大学に入学したての、一年生でも知ってる話です」

「とっかえひっかえとは心外だな。俺はただ、かわいい子に声を掛けずにはいられないだけなのに」

「それをとっかえひっかえって言うんですよ。知らなかったんですか?」

「うん」

 男の肯定を鼻で笑い、机の上に置かれていた自分の荷物を、絵里子はそっと隣の席へスライドさせる。男から距離を取るため、空いていた一つ隣の椅子に腰掛ければ、男はすぐに距離を詰めてきた。
 もう一度席をずれようとして、けれどすぐ近くに別の人が腰掛けていることに気付き、絵里子は諦めてその場に停留することにした。隣から覗き込んでくる男の存在が、不本意なこと極まりなかったが。

「ねぇ、きみ。今彼氏いる?」

「わたしに彼氏がいようが、いまいが、別にあなたには関係ないじゃないですか」

「それもそうか。きみと一緒にいられるのなら、俺は間男でもなんでもいいよ」

 絶句だった。どこまでもポジティブで無神経な男の言動に、呆れや嫌悪を通り越して言葉が出なくなる。

(なんなの、この人……)

 顔がいいだけで、こんなのがモテるだなんて。
 世も末だと、絵里子が必死に反論を考えてたところで、前方の戸を開け、教授が円形教室の中に入ってくる。
 壇上に上がった教授がマイク越しに声を発したのを合図に、絵里子は無理矢理考えることをやめた。

 ――その日から、少し遅れて教室に入ってくる男は、決まって絵里子を見つけ出し、隣に座るようになった。
 今日もかわいいだの、美人だの、食事に行こうだの、挙げ句の果てには付き合って欲しいだの。
 その度、どれほど絵里子が無関心を貫こうが、空寒い口説き文句を投げかける様は、図太いというか、無神経にもほどがあるというか。
 しかしながら、そこまで徹底していると逆に清々しいと、未知の人種を前に、真面目一辺倒に生きてきた絵里子は呆れ半分、関心半分といった心情であった。少なくとも、当初はそれ以上の感情など何も持ち合わせてはいなかったはずなのだ。
 
 だが人生とは分からないもので、気付けば絵里子は幸司と付き合うことになっていた。付き合いだしたきっかけは、一時的な気の迷いだったと思う。一度デートの一つくらいしてやれば興味も失せるだろうという、しつこく付き纏ってくることに対しての無気力な諦め。けれど、幸司は絵里子の思い通りになってはくれなかった。
 何度デートしても、体を重ねても、幸司の態度が変わることがなく、日が経つにつれより距離が近くなっていく。どれほどひねくれ、塞ぎ込んでいようとも、好きだと、愛していると、何事をも肯定してくれる幸司の隣が、心底居心地良くなっていく。

 そうして、2年の月日が過ぎた頃。
 大学を卒業すると同時に、東場絵里子は、篠塚絵里子になった。

Categories: えみりちゃんのいぬ, お知らせ, 創作小説(R18)

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